「男性は頑張って仕事して出世して、女性はほどほどに……」
これは私が育休復帰後すぐに行われた上司との面談で伝えられた言葉です。
以前から女性にやさしくない会社だとは感じていたのですが、
ここまで直接言われるとは思ってもみなかったので、驚いて返す言葉も出てこなかったことを覚えています。
そこから「マミートラック」に苦しめられる日々のはじまりでした。
電車の中やベッドの中で泣いたのは数知れず。
主人にも「辞めたい」と何度も伝えました。
しかし、そのような状況から数年。
今では職位も上がり、忙しいけれどやりたかった仕事をやらせてもらっている毎日です。
なぜマミートラックから脱出できたのか。
また、育休前後でやっていてよかったことなど、私の体験をお伝えしたいと思います。
目次
マミートラックとは?
そもそもマミートラックとは、育休後、
仕事に復帰したときに、やりがいのある仕事や重要な仕事から外れてしまう状況を指した言葉です。
一度そのような働き方になってしまうと、なかなか元に戻ることができないことから、このような名前がつけられました。「最初は子どもを優先して控え目に仕事をして、大きくなったころしっかり働きたい」と思っていても戻れない状況です。
また、人によってはこのような働き方を希望する人もいるものの、復帰後も出産前と同じような働き方を希望する人にとっては、不満がたまるのではないでしょうか。
育休から復帰した直後の状態
育休から復帰したとき、元いた部署はなくなっていました。
正確に言うと別の部署と合併したのですが、私が入ることになった部署は知っている人がほとんどいない状況です。
しかもその部署で行う業務は7割くらいが経験のない仕事。
右も左もわからない状況で、最初はただ言われたことをやるだけの毎日でした。
マミートラックの始まり
私は元々仕事が好きで、出産前は残業も多かったけれど充実した毎日を過ごしていました。
復帰後も残業はできないものの、フルタイムで以前と同じような働き方を希望していました。
しかし、新しい部署での経験が少ない私に与えられたのは、新入社員でもできそうな簡単な仕事ばかり。
しかもその仕事ができるようになれば部署で必要なスキルがつくか、と言われると「No」でした。
仕事をやっても認められない。だからといってスキルアップできそうな仕事は振られない。
典型的な「マミートラック」状態で、なぜあなたはその職位でそんな仕事しかできないんだ?という視線が向けられているような気がして、精神的にきつかったです。
変わるきっかけ
変わるきっかけとなったのは、転職を考えはじめたことです。
「どうせ私は転職するのだから、好き勝手にやろう」と決め、人の顔色をうかがって自分の言いたいことを控えたり、みんなと仲良くしようと無理に合わせようとしたりすることをやめました。
そして、自分にもできそうな仕事は他の人から引き取ったり、みんながやりたがらない面倒な仕事を受けたり、タイムマネジメントが苦手な人のタスク管理を行うなど、常にできそうなことを探し率先してやったのです。
誰に何を言われても良いから、やった方が良いと思うことを自ら探してやっていくというスタンスでした。
そこから他の人の私を見る目が変わり始めたのです。
その後「行動力がある」と評価され、少しずつ重要な仕事を任せてもらえるようになりました。
また、他部署のメンバーから「この人は経験がないことでもできる」と進言してもらえたようです。
そのタイミングで非公式ですが「女性でも重要なポジションに就いてもらう」と会社の方針が変わったようで、昇進することができました。
今では希望していた仕事をしています。
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やっていてよかったと思うこと
マミートラックから脱出した今、振り返ると「これはやっていてよかったな」と思うことがいくつかあります。
その中でも特にやっててよかったと思うのは、以下の2つ。
- 育休前から、困っている業務があれば助けていた
- 周りが嫌がる業務を率先して受けていた
ひとつずつ説明していきます。
育休前から、困っている業務があれば助けていた
元々私は育休前から、困っている業務や仕事があふれている人のヘルプに入ることが多かったです。
そういったことを長年やってきたおかげで、よく知らない業務もこうすれば進めていくことができる、というコツを無意識に得ることができました。
「この人はどうすれいいかわからない時、状況打破してくれる」という印象を育休前からつけていたため、マミートラック状態の中でも他部署から声がかかることがあったり、他部署の人が私の上司に「この業務をやらせてみては?」と進言してくれることがあったのです。
ですので余裕があるときにこそ「困った人は助ける」というのは意識した方が良いと思いました。
周りが嫌がる業務を率先して受けていた
やらなければいけないけれど、面倒な仕事ってありますよね。
自分が面倒と思うことは、もちろん他の人にとっても面倒なことです。
たとえ自分の仕事の範疇ではなく、面倒なことであったとしても、私は率先して引き受けていました。
引き受けていた理由は「私は他の人よりスキルが低いから、このままだと仕事がなくなる」という危機感から。
当時、重要な業務に携わる優先順位は女性と男性とで差がありました。
たとえ同職位・同じ仕事をしていたとしても、基本給に男女差があった時代です。
ある意味マミートラックと同じような構造があったのですが、干されるかもしれないという危機感から、とにかくできることをしっかりとやり続けたおかげで信用残高も増えました。
伝えたいこと
正直、私がマミートラックから脱出できたのは「運」の要素が大きいです。
しかし、チャンスが巡ってきた時に今までやってきたことが活かせたことも大きいと思います。
もし、マミートラックに悩んでる人や、マミートラックにならないために何かしたいと思っている人に伝えたいことは、「今できることを全力でやる」ということです。 できることを確実にこなし、少しずつ信用残高を増やすことで復帰後の対応も変わるのではないでしょうか。
マミートラック回避のコツは、毎日のちょっとした心がけ。 周りの状況を見つつ、手を抜かずしっかりとやっていくことでマミートラックの脱出は不可能ではないと思っています。